伊良部大橋に向かう緩やかな坂道で、バックミラーへちらりと目を向けると、東の空に月の欠片が浮かんでいるのが視界に入った。

空の低いあたりには初夏の雲が浮かんでいる。その日の満月は雲に隠れて、わずかばかりの顔を出しているのかと思った。そうではなくて、欠けているのだと気づいたのは大橋の上をしばらく走ってからのこと。月食はもう始まっているのだった。

橋をおりてから車を停めて、東の空に高くのぼろうとする月を眺めた。

東の月と西の太陽のはざまに地球が入って、月のおもてへ影を投げかける。地球の左肩からわずかにこぼした太陽の光が月に差し掛かり、その表面に静かな光をたたえていた。

空の様子に気づいてか、近くに車が止まり始める。峰の向こうに太陽が沈んで、夜の始めの青さも、次第に光を失っていた。用事の途中でもあって、いったんその場を離れた。

月食の時間は、夕暮れ時から3時間ほどのあいだ。帰路の途中でもまだ少し欠けた月の風景を見れそうだ。

伊良部島からの帰り路、東へと向かいながら、空にかかる月を確かめた。暗い海を挟んで、橋ひとつでつながった宮古島の上に、赤い弓形の月が浮かんでいる。橋の途中には、車を停めて、潮風に吹かれながら空を見上げる人たちの姿があった。市街地の灯りに、この月を眺めている誰かもいるのだろうか、と考えたりした。

今この時、夜を迎える静かな青の底で、ふと紅色の月を見上げる。そのとき、そこにある特別な月に気づいただろうか。小さな島のあちこちで空を見上げた一人ひとりの想いを、うっすら輝く赤い月は受け止めただろうか。

あるいは街の灯りもない数百年ものむかし、静かに欠けていく月の姿を見つめた人々は、この不思議の時間に、どんな思いを抱いたのだろう。

時を超え場所を超えて、欠けた月がひととき思いを結ぶような気がした。

陽の光がひいていき、空が夜の色へと変わる頃、月と太陽のつくる光の調べに、地球に反射して届く光があわさって、音楽は三重奏に変わる――180分のあいだ、島は天体の音楽に包まれる。伊良部島から宮古島へと向かう大橋を渡りながら、そんな想像にひたっていた。

地球の影が少しずつずれて、月のおもてに光が満ちていく。島中にかけられた魔法がゆっくり解けていった。私たちの心も、空の月から離れて日常へと戻っていく。途中、車をとめて港に立ち空を見上げた。もうすでに半分の月になっていた。

翌日の新聞それぞれに月食の写真が載っていて、嬉しくなった。魔法の時間の刻印がそこに残された、というような気持になったから。月が結ぶそれぞれの想い。その瞬間はきっと確かにあったにちがいないのだ。