飛行場まで母を迎えに行った帰りに、少し遠出して、伊良部島にあるカフェへ立ち寄った。
まず運ばれてきた前菜には、庭先で採れたような素朴な島の野菜が品よく盛り付けられている。酢で軽くしめ、素材の風味が活きている。畑いじりが好きな母は気に入るだろうと思ったが、さっそく食材のひとつひとつを論評しはじめた。おそらく彼女なりに楽しんでくれていたのだろうと思う。
冬の薄曇りの天気で、重い雲間から光がさしていた。庭向こうに海は鈍色に輝いた。冬の光だ、と思った。
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島に帰ることを決めてから、一眼レフカメラを買った。フィルム時代のものをしまっておいたまま写真から遠ざかっていたけれど、島に帰ったら、趣味をひとつ持とうと思ったのだ。
けれど帰郷して戸惑ったのは、何を撮っていいのかまったくわからなかったこと。青い海や青い空も、今さら私が撮る意味を感じられなかった。
かといって見渡してもあるのはサイトウキビ畑ばかり。今思えば、島の風景を見る眼がまだ養われていなかったのだろうと思う。写真に写るのは、私の眼で見た風景でしかないのだから。
そう思うようになったのは、たとえば四季がないと言われるこの島で、たしかにある季節の豊かな表情に気づくことが、ひとつ、ふたつと増えてからのことだ。
宝石のような海は、冬の曇天にはすっかり色をうしなってしまう。けれども、太陽が低く軌道を描く冬の日、南岸線から見る海原に、うっすら光の帯がのびるのを見ることがある。厚い雲の隙間からおりる光のカーテンのそのあたりに、銀のさざなみが広がっている。
この美しい光のたわむれを私は、”冬の光”とひそかに呼んでいる。音のない静かな午後に、ふいにその光を見つける。
祈りとは、言葉にできるものではなくて、生とか死とか、平和とか争いとか、そういうことをずっとはるかに超えたところにある光に、身をうたすことなのかもしれないと思う。
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冬の海にさざめく光を見つけて、写真におさめた。雲が風にながれると、波間の光も流れていく。
小説「幻の光」で、こんな会話がある。「分からへんねん、なんであの人が死んだんか。」この漁村に育った夫は、それに答えて言う。「海に誘われるとゆうとった。沖の方にきれいな光が見えて誘うんじゃ言うとった。」
ふとそのことが思い出された。あの時は、能登半島特有の海の光景なのかと思ったのだけれど、沖合の光は、いま私の眼の前に広がっている光なのかもしれない。
既知の世界のその向こうから届く光。著者もこの光を見て、生と死の物語を超えた響きを聴いただろうか。
のちに是枝裕和監督によって映画化されたとき、このくだりは、海辺に燃える焚火の赤が印象的な場面として描かれていた。それは、別の世界へといざなう光と対比して、再生する命の光のようにも感じられる。
小説の最後、家族と日々を過ごしている彼女は、その日も沖にきらめく光に気が付いている。けれどそこに暗い想いはない。死はいつもそばにあり、だからこそ愛おしい者たちと今日を生きる。
海のそばに生きる人たちが、それぞれの思いでこの光を眺めていたのだと、そんなことを思う。
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今では北風の季節が来るたびに、薄曇りの空からこぼれる冬の光を探すようになってしまった。
庭の蓮池の、朝夕と、少しずつ変わる水面の色を、繰り返し描いた印象派の画家のように、冬のたびに空と海の織り成す銀色の調べを、繰り返し撮影したい。ポスターになるような宮古島らしい風景ではないけれど、住んでいる人なら知っている、心になじんだ光景のはずなのだ。